明日は来るか分からないのに冬は来る

LINEで送る
Pocket



明日は来るかわからないのに冬は来る。

この頃生きててよく感じるキーワードの一つです。
言葉にできないバランス状態を表現したフレーズ。
私はこういったタイプの話はひっくるめたい時には「サイケ」と呼んでいます。つまり定められない、サイケデリックな話です。


まぁさておき、
「明日は来るか分からないのに冬は来る」とは何を意味しているかと言うと、私たちが日々計画的に過ごしている部分と瞬間的に過ごしている部分の両方のことです。

「冬は来る」は備えの姿勢です。明日は早起きして仕事をしよう、とか、来週は髪を切りにいこう、とか、来月は引っ越しだから少しずつまとめよう、とか、年末の締め切りにまでにプトジェクトで成果を上げたい、とか、いつまでに結婚したい、とかとか、そういった「来たる冬」に備えて日々コツコツ薪を割るような部分のことです。
対して「明日は来るか分からない」というのは呼吸の姿勢です。今感じることでしかアクセス出来ない感覚的な部分、つまり過去も未来もない今の状態にリンクしている状態のことです。時間のように流動的で実際感じる事しかできない、定めたと思った瞬間には過去に変わってしまう部分のことです。
春先のお花畑で大の字で転がり、胸いっぱいに悦びを感じる。星空の下で大の字で転がって、胸いっぱいに悦びを感じる。好きな人と愛し合い、胸いっぱいに悦びを感じる。ひたすら瞑想して宙に浮き、胸いっぱいに悦びを感じる。或は麻薬を多用して胸いっぱいに悦びを感じる。などなど、人はそれぞれ様々な悦びを持って生きている事でしょう。



そしてどうでしょう、もしもある日、明日この世の全てが終わる事になり、その事をもしあなたが知ってしまったら。あなたは冬に備えることなどせず自分の魂の赴くままに時を過ごすのではないでしょうか。よくあるたとえ話ですよね。


そんなこと分かりきった話だからどうでもいいと言ってしまえばそれまでですが。でもこのキーワードをリアリティを持って意識したり観察をしたりする事は、するのとしないのでは日々の行動の解像度が変わってくると思います。

何となく中心にいるのと意識的に中心に合わせる事は違うし、どこに向かっていたかよく分からないまま今の場所にいることもよくある。


「冬は来る」世界に生きる私たちは、日々冬に備える為に合理性と生産性を追求して、より多くの薪を蓄えより多くの種を蒔く事によって私たち自身の生活に経済的な安定と健康、そして将来のビジョンを描く糧を与えます。
「明日は来るか分からない」世界に生きる私たちは、過ぎ去る瞬間を愛で、二度と訪れない景色や匂いや心の情景を悦びに変え、目に見えない様々な存在や感覚と泳ぎを共にする事ができます。


瞬間の充実感と永遠の安定感。
相容れない両輪に乗って人生の豊かさを求める。
そんなサイケデリックを表すのが「明日は来るか分からないのに冬は来る」という表現です。いかにも人間らしいでしょう。

普段の生活は明日が来るどころかいつまでも続く事を想定しています。故にいつでも、来たる冬に向け日々備えなくてはなりません。しかし一方で瞬間の充実感を忘れて時間の流れを追い越したら多くの悦びとすれ違う。


んん〜〜サイケですね。仏教で言う仮眼と空眼ですかね。


「冬に向けて今日を気持ちよく過ごせたか。」
この辺がオトシドコロでしょうか。


それでは、よい日々を

LINEで送る
Pocket

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。