しいたけ泥棒。自分の身は自分で守る

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最近、我が家の椎茸が盗まれました。

前の家主が残していったもので、私たちが打った椎茸ではないのですが、道路向かいの林に設置された原木をいつも楽しみに観察しています。

 

引っ越してきてかれこれ7ヶ月が過ぎました。

家の周りには前の家主が残していった様々な収穫物があります。
枇杷に梅、ミョウガにツワブキ、栗や日向夏、他にもいろいろ。

その中でも、この時期にいつも楽しみにしているのは椎茸で、菌を打ってだいぶ経つであろう椎茸の原木はもうほとんど見る影もないほどに朽ちていますが、その中でもまだ何本かまともなのもあり、雨が降る度少しずつ出現し、その笠を膨らませています。

そんな椎茸、最近ごっそり盗まれました。毎日膨らむのを楽しみにしていただけにめちゃくちゃ悔しい思いです。

しかし、まさか泥棒?なんて思っていたので、当初は動物かなんかにやられたのかと思ったりもしました。が、この辺にはイノシシがいるくらいで、鹿や猿はいません。
ちょうど良く膨らんだ椎茸が丸ごと消えるのはやはり、泥棒かなと。

 


ウチの集落のすぐ近くに隣接する集落があるのですが、そこには歯が1本しかないおじさんがいます。その歯1本おじさんは自転車に乗って毎日のように、そして一日何べんも私たちの集落まで通います。
特に何をするわけではないのですが、ウロウロとそこら中を巡回します。田舎にはよくウロウロしているおじさんがいるので、特に気にかける事もありませんでした。

 

そして先日、お隣さんの坂元さんのところにその歯1本おじさんが来ていました。巡回中に立ち寄ったのでしょう。
私はちょうどジャガイモの種を植えに行こうと思っていたところで、坂元さんに椎茸の話をしてみました。

そして、椎茸の話をするや否や、歯1本おじさんはスッと自転車に乗って立ち去りました。

 

特に気にもとめていませんでしたが、少し話を進めると、坂元さんは「ああ、あの人だよきっと」と言いました。方言がキツいため最初は聞き違いかと思いましたが、どうやらこの辺では盗人や手癖の悪い人の事に対して「指が曲がっている」という風に言い回すようなのですが、その歯1本おじさんがまさに「指の曲がった人」だったのです。
「ほら、お前が椎茸の話を出したら帰ってっただろう」と。

どうやら坂元さんも勝手に栗を拾われたりの被害が今までもあったようで、そしてその歯1本おじさんは巡回中に欲しいものを見つけると持ってってしまう「手癖の悪い人」でちょっとした定評?のある人だというのです。

 

ショッキングな話でした。

 

しかし、そこで、単純にただの泥棒と考えるわけにもいかないなと思いました。

なぜかと言うと、田舎というのはもともと、法的な枠組みよりも、人と人で繋がっており、モラルや地域のノリみたいなもので「地域の安定」が成り立っているという性格が強いです。
当然「お国」という意識の中にいるわけですが、その地域単位の正義や道徳というのはやはり住む人のノリ次第である、ということです。

そしてそれは本来「共同体」があるべき姿でもあると思います。
「共同体で治世をし、そこに必要に応じて法的な枠組みを設置する」というのが健全な治世であり、そうあるべきだと思います。
地域的なつながりが希薄になった都会などでは法的な枠組みを筆頭に社会が形成されますが、それは些か健全性が失われた社会であるとも言えます。
市民が主役ですから。

 

そして話を戻しますと、田舎というのは空き家になった家からはだんだんとモノが消えていきます。周りの人が必要に応じてか、欲望からかは分かりませんが、「空き家」を資源として見るようになるのです。
それはまるで山で山菜を採ったり、川でエビを捕るような感覚です。
ですので、しばらく放置された「空き家」や「土地」というのは所有者の陰が薄れる事によって、だんだんその位置付けが「自然」に近くなると考えられます。

だから「収穫」出来るものは収穫する。
これはなんだか動物的にとても自然な事であると思います。
「ナワバリ」の臭いが薄れるわけですから、その隙間には他の何かが入り込むという事です。
もともと「所有」という概念はただの共通認識であり、人間の共通幻想のようなものですから、それを支えるのは人々の「同意」でしかないのです。

廃墟がだんだん「公共の場所」にようになっていくような流れです。

 

ですから、今回の椎茸が盗まれた事件も、私たちが「縄張りの主張を怠ったせい」とも言い換えられるのです。
自然界というのは容赦なく、主張のないものを呑み込んでいきます。

 

悔しい思いをしたくなければ自分から強く主張するしかない。

法的措置はその後のオプションです。
どうしようもなく椎茸が盗られ続けるようなら警察も視野に入れなくては、ですが。

 

地域が膨らみ、国が形作られる。
その逆ではないのです。
「共同体」あくまでモラルによる治世が大前提なのです。

ですので自分の身を自分で守りつつ、地域に対して主張し、その合意を共有する。
そうする事でしか自然界で生き残る術はないのです。

「自立と共存」の大根幹ですね。

それでは良い日々を

 

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